湯木 和則(S62,2T)

 午前6時,スタジオに「放送中」のランプが点り,「NHKおはよう日本」のテーマが流れる。卒団から7年。これが私の今の職場である。一般には時代の最先端のように思われるテレビ局だが,実際は日々,バタバタとした現場をこなしていくきわめて雑然とした職場である。ルワンダ情勢,北海道東方沖地震,村山政権誕生,円高,アジア大会,Jリーグ……。世界はめまぐるしく動き,情報が洪水のように流れ,ポケベルが鳴り続ける中で,北大合唱団での4年間は,遠い記憶の霧の彼方へ沈んでいった……かのように思えた。

 今年の3月,私は「おはよう日本」のテーマ曲収録のため,NHKの5階にあるレコーディングスタジオにいた。委嘱をお願いしたのは大島ミチル氏である。この名前を耳にした瞬間,私の脳裏に北大合唱団での思い出が甦ってきた。3年の時の定演第4ステージ。当時正指揮者だった田中琢氏の指揮で歌ったのが大島ミチル氏の出世作「御誦(おらしょ)」だった。長崎まで取材に行き,チャンポンをたらふく食べてきたという正指揮の熱意や,手拍子と歌を同時に行えないリズム音痴の存在もさることながら,当時密かに話題になっていたのは「大島ミチルはかなりカワイイ!」ということだった。この噂は,プログラムに大島氏のメッセージを載せるべく画策をしていた外マネやプログラム係を中心に広まり,一部愛好家に相当に好意をもって受け入れられていたのである。

 ここまで思い出した私はさっそく当時の楽譜とプログラムを用意し,大島ミチル氏を待ち受けた。プロデューサーを伴って現われた彼女は,果たして,ファッショナブルで大変魅力的なレディであった。数多くのCF音楽を手掛け,NHKスペシャル「生命」など,大型番組の音楽にも携わる売れっ子だが,私の差し出す楽譜とプログラムに,たちまち北大合唱団のことを思い出してくれた。以後しばらくの間,仕事の話もそっちのけで合唱談義に花が咲いたのは言うまでもない。

 そういえば,と私は思い出した。この7年間,時おり合唱への思いがこみ上げてくることがあった。中国の内モンゴル自治区,包頭市郊外の砂漠でポプラを植える人たちとモンゴル民謡を歌ったときがそうだった。冬の山陰海岸の映像に,多田武彦の「北陸にて」を長々と付けたこともある。もちろん,こうした想いが仕事の役に立つわけではない。むしろ何かやるせない感覚を伴うことも少なくない。しかし,私の人生に豊かなアクセントを与えてくれることもまた確かなのである。

 今宵,私はこのステージに立つことが出来るであろうか。ポケベルよ,鳴らないでくれ。

(第5回OB演奏会プログラムより転載)

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