北大合唱団時代,そして宍戸先生との出会い

井上 勝(S42,2T)

 小さな田舎町で高校時代から合唱に熱を上げていた。北大に入り,何よりも先ず北大合唱団に入って歌いたかった。演奏旅行,大学合唱祭,コンクール,定演,卒演と団のあらゆる活動に参加し,北大合唱団が大きな軸となったが,それだけで飽きたらず他のいろいろな合唱団でも歌っていた。

 大学2年目の年に池上恵三先生が札幌に来られ,札幌二期会を結成された。その合唱団に北大からも数人がメンバーとして加わっていた。先生は,近いうちに「シシド・ゴロー」という合唱にかけては物凄いヤツが来るよ,と云っておられた。どんな方が来るのかと自分なりの想像と期待を持っていた。3年目の年,宍戸先生が札幌に来られた。初めてお目にかかれたのは,どこかの演奏会の時で,合唱の指揮ではなく,シューマンの「流浪の民」のピアノ伴奏をされていた。演奏が終わって紹介された先生がピアノの横でピョコンとおじぎをされた時,自分が勝手にイメージしていた人とはかなり違っていたことが分かった。それから札幌二期会合唱団は宍戸先生のご指導で,更に活動の幅を広げることになった。小柄であられるが,創り出す音楽の世界は大きく,また繊細である。いろいろな大学の学生十数人で作ったマドリガルを歌うグループに,先生も学生仲間という気持ちで一緒に歌う仲間メンバーとして参加してくれた。これほど合唱好きの音楽家は見たことがなく,またこんな気さくな音楽家もみたことがなかった。尊敬できる音楽家だと思った。このような先生との出会いが更に合唱熱を上げてしまい,ハモリまくって4年間が終わった。

 卒業し,嫁さんをもらうことになり,大変ぶしつけであったが,先生に仲人役をお願いしたところ,戸惑われながらも快くお引き受けくださった。友人達の手作りによる音楽づくめの結婚式であった。今にして思えば,これ程の偉大な音楽家に大変恐れ多いことをお願いしてしまったなァーと。

 先生は,お好きな音楽の勉強のためにフランスへ留学された。その後しばらくして,我々も転勤でフランスに行くことになったが,これも何かしら縁のあることなのかなと思った。この札幌の演奏会に向けOB会・東京支部は昨年末から練習を始めたが,宍戸先生に振っていただく「月下の一群」の東京での音取り練習は,我々夫婦(カミさんは伴奏)で受け持たせていただいた。これまた恐れ多いことであるなァーと思いながらも,今年,我々が無事25周年の銀婚式を迎えられたことの感謝の気持ちと,ささやかなお手伝いとして。あとは札幌でOBの一員として,先生が引き出してくれるすばらしい音楽の中に浸りたいと思っている。25年以上経ち,OBメンバーとして札幌に集まり,しかも宍戸先生の指揮で歌えるということはなんと素晴らしく,幸せなことであろうか!終わったら,また4年後のことを考えよう。

(第5回OB演奏会プログラムより転載)

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