高橋 彰(S56,2B)

 文連会館が焼けたという電話を受けたのは54年の4月下旬だったと記憶しております。当時内政マネージャーになりたてであった私は緊張感もとれぬままに,その日以来練習会場確保の責任者となりました。固有の団室をもっていたことの素晴らしさを,こんな境遇になって皆初めて気付きました。単に週何度か練習する場所というだけでなく,ススに染まった数々のポスターを見ることで,手あかのついた鍵盤に触れることで我々が団室から得ていた力を知りました。当然いくつかの練習場を利用しましたが,その1つである北大寺での総会は大変熱のこもったものであり,今でも印象に残っています。定演の入場料を300円から400円にすることを決めたのがこの総会であり,それが今でも受け継がれているはずです。クラーク会館での学内演奏会,道東への演奏旅行も団員相互の連帯感を強めた,心に深く残るものでした。そして,厚生年金会館で定期演奏会が行われました。合唱の演奏会で感動する機会の少ない私ですが,この時の演奏は今聴き返してみても,集中力と情熱にあふれた,学生男声合唱として高いレベルにあるものだと自負しております。

 今晩,あわただしい日常生活から開放されてここに集う人々の胸には,それぞれの時代のそれぞれの北大合唱団があるはずです。そしてそれらが重なりあって生み出すハーモニーに私は何か熱いものを感じます。まぎれもなくここに音楽があるといえませんか。

(第3回OB演奏会プログラムより転載)

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